コラム

2019/11/01拝啓トマス・クック様

公共デザイン本部 公共マネジメント部 主任研究員横山直子

2019年9月、イギリスの旅行代理店トマス・クック・グループが破産を申請し、180年近い歴史に幕を下ろした。報道によると、そのタイミングで同社のツアー等で海外に渡航していた利用者は、イギリスだけでも15万人以上に上り、世界17か国に拠点を持つ同社の破綻により、2万人以上の雇用に影響が出るということである。

トマス・クックといえば、ホテルや交通機関の予約代行のほか、添乗員付き・団体割引のパッケージツアーを企画・販売した草分けであり、欧州最古の観光代理店といわれている。パッケージツアーの他、鉄道・ホテルのクーポン券やトラベラーズ・チェックを広め、ガイドブックや鉄道時刻表の発行を手掛け、航空業にも進出した。
国際観光客数は、1950年から2015年までに45倍以上もの驚異的な伸びを記録している。近代ツーリズムの量的な拡大を支えた要因のひとつとして、旅客鉄道の誕生、蒸気船の登場、航空機の発達といった交通革命が挙げられるが、クック社のサービスがその一翼を担ったことは想像に難くない。

トマス・クックの創業はヴィクトリア朝に遡る。1841年、創業者のクックは、地元から15キロほど離れた場所で開催される禁酒大会への参加者を運ぶため、鉄道会社と交渉し、臨時列車を特別料金で走らせる手配をした。宣伝広告で参加者を募り、切符を印刷、販売し、軽食を手配し、現地でのレクリエーションも含むエクスカーションを企画したところ、およそ500人もの参加で大盛況となった。レジャー目的の行楽列車はこれ以前から登場していたが、費用の中に食事や娯楽的要素を含む「添乗員付き団体割引旅行」は、クックの企画が最初といわれている。(*1
当時のイギリスは、工業化、人口の激増による都市化が進展して活況を示す一方、都市環境の悪化、安価な蒸留酒による労働者階級の健康被害等が問題となっていた。創業者のクックは、熱心に禁酒運動に取組むバプティスト派の伝道師であり、大衆を飲酒ではなく「健全なレクリエーション」である旅に誘うことに奔走した。「格安団体ツアー」の提供により、それまで上流階級だけの嗜み・楽しみであった旅が大衆化されたのである。(*2

トマス・クック破綻の報道では、同社がオンラインの旅行代理店や格安航空会社との競争にさらされていたことに加え、旅行者が代理店に頼らず、自ら旅行を計画・手配するようになったことも影響しているという指摘もみられた。
確かに、訪日観光客の動向調査をみると、個別手配旅行は、ツアーやパッケージと比べ、圧倒的割合を占めている。

同資料を見ると、訪日観光客が「出発前に得た旅行情報源で役に立ったもの」が目に留まる。トップ3は、「個人のブログ」「SNS」「口コミサイト」と全てネット媒体であり、「ガイドブック」は圏外となっている。
初代クックは自らツアーに添乗し、旅行団を引率した。献身的なサービスに感銘を受けた旅行団は感謝状を呈してその労をねぎらい、クックの固定客になったという。クックのファンは帰国後、旅行記を書くケースが多く、旅を楽しんだ人々の発言が生きた広告となり、顧客の輪を広げたそうだ。(*3)旅のスタイルや情報媒体が変わっても、今も昔も旅の情報源はやはり口コミということか。かくいう筆者も、旅の前には、ネットでの口コミ情報収集は欠かせない。

トマス・クックの破綻は、一企業としての舵取りに起因するものか、はたまた20世紀型大衆観光の一区切りと捉えるべきか。創業者のクックは、常に顧客ニーズを把握して新たなサービスを開発したようだが、現世であれば、どのような手を打っただろうか。

 

*1 ピアーズ・ブレンドン(石井昭夫訳)1995年『トマス・クック物語:近代ツーリズムの創始者』中央公論社(Brendon, Piers. 1991 “Thomas Cook: 150years of popular tourism” Secker & Warburg.
*2 ジョン・アーリ(加太宏邦訳)1995年『観光のまなざし:現代社会におけるレジャーと旅行』法政大学出版局(Urry, John. 1990 “The Tourist Gaze: Leisure and Travel in Contemporary Societies”Sage.
*3 荒井政治 1984年「トマス・クックによる旅行業の開拓」経営史学192

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